廉塾のキツネ
福山市神辺町
江戸時代の中ごろのお話です。
宿場町としてにぎわう神辺に、菅茶山という学者が塾を開きました。やがて福山藩校となり、廉塾と呼ばれるようになりました。菅茶山の学問はもとより、その人柄にひかれて廉塾の門をたたく人はたいへん多かったということです。
神辺の人々は、廉塾に通っているのは、希望に満ちあふれた若者ばかりだと思っていました。ところが、もう一人、意外なものが茶山先生の講義を聞いていたのです。
廉塾の近くには竹やぶがあり、そこに住んでいたキツネが、塾に通っておりました。塾生たちが廉塾の広い縁側に元気よく上がっていくのに混じって、一匹のキツネがやってきたかと思うと、縁側の下にもぐりこんで、茶山先生の教えにじっと耳を傾けているのです。そして、講義が終わると、塾生と同じように家へ帰っていくのでした。
この感心なキツネの話は、誰が言うともなく、人々の間に広まっていきました。
「なんとのう、廉塾でコンコンさまが勉強をしようるらしいのう」
「ああ、わしも聞いた聞いた」
「キツネでも、人をだますばかりじゃないんじゃのう」
「わしらが聞いてもよう分からん講義を、キツネが聞いて分かるんかいのう」
といろいろうわさ話をしているうちに、廉塾のキツネは人々に親しまれ、愛される存在になっていきました。そして、そのキツネが死んだとき、人々は相談して、茶山先生の墓に近い吉野山におまつりしたということです。
しかし、キツネというものは夜行性の動物で、日暮れから朝方まで活動時間だそうです。そうなると、廉塾のキツネが昼間に縁側の下にもぐりこんだのは、宿場町のにぎやかさをのがれて、ゆっくりと昼寝をするためだったのかもしれません。茶山先生の講義の声は、キツネにとってちょうどよい子守唄だったのかもしれませんね。
出典:『びんごむかしばなし 第2巻』
河野寛 編・発行/備後出版情報センター/平成6年(1994年)