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田植え観音
尾道市向東町
むかし、今の向東町が歌島と呼ばれていたころ、この島に寺内という小さな村がありました。村の北側には小高い山があり、その山すそには西提寺という小さなお寺がありました。お寺の周りには、わずかばかりの田畑があり、村人たちはそれを耕して作物を作り、細々と生活しておりました。
村の人たちはみんないい人ばかりで、とても仲が良く、困ったことが起きた時はいつもお寺に集まって相談しました。
ところで、今、村で一番困っていることといえば、村人から「きいどん」と呼ばれている、喜助という若者のことでした。喜助は、親孝行で働き者で、申し分のない若者でしたが、喜助の家の田んぼも畑も村で一番少なくて、お嫁さんがなかなか来てくれないのです。村の人は、そのことがとても気がかりで、なんとかしてやりたいと思っておりました。
ある時、村の長老が西提寺の和尚さまのところへ相談に行きました。
「和尚さま、喜助にお寺の持っている田んぼを貸してやってくれまいかの」
和尚さんもとてもいい人で、喜助を心配する長老の気持ちも十分に分かっておりました。
「村のはずれに畑が一つ残っとるが、何を植えてもろくなもんができんでなあ。あれでもええなら貸してやってもええんじゃが、喜助にはちと気の毒じゃのう」
と困ったような顔で言いました。その畑は、草や木が生え茂ってどうにも手のつけようがなく、畑とは名ばかりのしろものでした。
それでも、畑を貸してもらえると聞いて、喜助と母親は大喜びでした。それからというもの、喜助は、一番鶏の鳴くころにはもう畑に出ており、夜は夜で月明りをたよりにどんどん耕していきました。
「きいどん、除虫菊を植えたらどうじゃ」
「きいどん、芋の方がええんじゃないかのう」
と村の人もいろいろ気を遣ってくれました。
ところがある年、喜助の母親が倒れてしまいました。
今までの無理がたたったのか、とうとう寝たきりになってしまったのです。喜助は、毎晩母親の足をさすったり手をもんでやったりして、よく面倒をみておりました。そして、一人でも朝から晩までよく働きました。
喜助は、この畑を田んぼにして米を作ってみたくなりました。そこで苗代を作り、田植えをすることにしたのですが、寝たきりの母親の世話があるので思うようにはかどりません。早く植えてしまわないと時期が遅くなり、稲が実らなくなってしまいます。喜助は気ばかりあせっておりました。
そんなある朝のこと、村で一番早起きの朝吉が喜助の家の戸をどんどんとたたきました。
「きいどん、きいどん、お前の田んぼがたいへんじゃ」
「わしの田んぼがどうかしたんか」
と言うが早いか、喜助ははだしのまま朝吉と田んぼへ走って行きました。そして自分の田んぼをみて、その場に立ち尽くしてしまいました。
「朝吉どん、これはいったいどうしたことじゃ」
「そりゃあ、わしの方が聞きたいのう」
騒ぎを聞きつけて、村中の人が喜助の田んぼにどんどん集まってきました。そしてみんな目をむいてびっくりしてしまいました。
なんと、一晩のうちに、広い田んぼに全部苗が植えられ、田植えができていたのです。
「いったい誰が植えたんじゃろう」
「おい、この足あとは誰んじゃ」
「こっちにも足あとがあるぞ」
長老を先頭に、村人たちがぞろぞろと足あとをたどっていきました。足あとは、細い道を西提寺に向かってついています。とうとうお堂の中に入り、村の人がいつも拝んでいる観音様のところで足あとは途切れました。
「観音さまが田植えをしてくださったのか…」
よく見ると、観音さまの足は泥だらけで、蛭までくっついておりました。
秋になり、喜助の田んぼではたくさんのお米が取れました。喜助は西提寺へ六分納め、残りの四分を自分の取り分にしました。
そのことがあってから、この観音さまは「田植え観音」と呼ばれるようになったということです。
出典:『びんごむかしばなし 第2巻』
河野寛 編・発行/備後出版情報センター/平成6年(1994年)
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